名前をつける
大変、ご無沙汰いたしました。
1年ぶりのブログです。
人生の中で、こんなに時間に追い込まれたことは数えるほど。
『超』がつく忙しさでした。
そして、その後は茫然自失とでも言いましょうか。
創作的な事にはなかなかエンジンがかかりませんでした。
皆さんもそんな時、ありませんか?
今日、ご紹介したいことは『名前をつける』。
自分の名前、家族(ペットもね)の名前、友だちの名前、お店の名前etc.
考えてみると、名前は溢れていますね。
娘の家へ行ったとき、「この子は『ステラ』、この子は『ルナ』・・・・・」
というふうに紹介されたのが観葉植物たち。
そう言われれば、そんな感じに思えてくるから面白いですね。
毎日、名前を呼んでは話しかけているのだそうです。
私の家にも幹がくねくね曲がった木がやってきました。
その子の大きな葉は、まるで○○○の耳を想像させる可愛らしさ。
早速、『バンビ』と名づけました。
その訳は・・・仕事柄、私にとって『聴く』ことは最も重要な事柄の一つです。『聴』の旧漢字は「聽」です。
話し手の話をできる限り理解しようと耳を傾けながらも、集中力には限界があります。ですから、話をきくだけではなく、『話し手にしっかり心を添わせて集中するのです』という意味が旧漢字の『一』に示されています。そして、きく器官である耳を王様のように大切に機能させてきくことなのだと言われています。
シカの耳のような、大きな葉をつけた『バンビ』は朝に夕に、私を楽しませてくれます。「バンビ、おはよう!」「バンビ、今日も一日ありがとう」etc.
時に、内緒話もします。
命あるものにもないものにも名前をつけて、それを声にしてみると、そして、語りかけてみると、何か息吹のようなものを受け取ることができます。
つい最近の出来事ですが、手抜きをしていた花壇を整え(正確には整えていただいた)、元気がない『ヒメシャラ』のそばにカスミソウとカリブラコアの鉢植えを置くと、今までに見たこともない数のヒメシャラの花が咲き始めました。
嬉しかったのかしら。本当に見違えるようです。
この子にも名前をつけようかな・・・。
我が子に命名した時の感動が、愛や希望、喜び、責任etc.といった心の奥深くにある美徳とともに甦ってきます。
祈りと喜びと感謝とともに・・・mikico