2020年も残すところ20日となりました。
今年はパンデミックに見舞われ、今なお先に何が待ち構えているのかが分かりません。そのような中、新しい生活の仕方への発想の転換が求められてきました。
『人生100年』と言われる今、何に意味を見出すのか?と自問してみました。
自分がそんなに長く生きたとしたら、人として何をしたらいいのだろうと、考え込んだのでした。
そして、生について(人生の意味)考えるのは久々であることに気づきました。
新型コロナウィルスの出現により、多くの人が死への恐怖や不安におののき、生きる意味を心静かに眺めることから遠ざかっていたのかもしれません。
そんな時、私の中でフッと何かが動き出しました。小田原にある『生命の星・地球博物館』で出会った様々な本の内容が交差し始めたのです。遺伝子の事、宇宙と人体の事、生命の進化の事、生物の生態系の事等々。
人の寿命は今や右肩上がりで、旧約聖書に登場してくる人たちの寿命に近づいていくのかなぁ・・・と漠然と思ったりもしているのですね。(ちなみに、ヨセフは110歳、モーゼは120歳と伝えられています。)
他の動物が生後間もなくに立ち上がって歩き出したりするのに比べ、人間は本当に長い時間の中で、ゆっくりゆっくりと育っていきます。
また、他の動物は出産を繰り返しながら、生殖期を終えた後には5年ほどで寿命を迎えます。それに対し、人間は平均でも30年ほどの猶予があるわけです。
一説によると、高度な文明社会を維持するために次世代に継承しなければならないものが多いからだとも言われています。
確かに、人間の寿命が短かったならば、次世代への継承という使命を果たせないでしまうかもしれません。
私が子どもの頃は、誰もがお年寄りを敬い大切にしていました。『年寄』という言葉に悲壮感はなく、むしろ、『賢者』の響きを以って捉えたものでした。私自身は父方の祖父母も母方の祖父母も、それぞれの家族の中での存在感は大きく、お年寄は賢い者だと信じて疑いませんでした。他とのバランスを保ちながら時に堂々と、時に寛容に生きていたなと懐かしく思い出されます。
そのいろいろな場面を思い出すと、自分の子どもたちやその配偶者、その間に生まれた孫たちの成長をしっかりと見守っていたように思います。そう、その時を迎える日まで、時間の流れに逆らうことなく、老いを受け入れながら日々、祈りの中にいたのでは?
自分は年老いて役に立たなくなった、家族に迷惑をかけるだけだなどと、自分を価値下げすることなく、豊潤な日々を送りたいものです。
そう言えば、鏡リュウジさん(占星術研究家・翻訳家)のお話の中で、水瓶座に位置する年末から風の時代に入るのだとか。賢い人達が活躍するのだそうです。賢い人たちというのは高学歴という意味ではありません。『この世の中には、私たちがコントロールできない事があるということを知っている人』を指しているのだそうです。
ここで、前々回のニーバーの言葉を思い出された方もいらっしゃるのでは?
変えられないことを静かに受け止める謙虚さと
変えられることを変える勇気と
その両者を見極める智慧と・・・
どなた様も、頭の中にある見えない鎖から解き放たれ、心の自由を祝福なさいますように。祈りと喜びと感謝とともに・・・。