永遠に包まれる
あけまして おめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます
皆さま、ハートはお元気ですか?
私は、あまり元気ではない時に思い出す1冊の本があります。
30代の半ばだったでしょうか・・『夜と霧』という本に出合ったのは。
同僚の社会科の教員から薦められて手にした本ですが、あまりの衝撃に吐き気(部分的に)を感じたのでした。ドイツ強制収容所での体験記録は、『アンネの日記』を最初にいくつかの記事を目にしたことはありました。そのどれもに涙した時とは違った反応に自分でも驚きました。
見たくない現実、認めたくない現実への抵抗が、私の中で起きていたのですね。
しかし、読み進めていく内に、強制収容所での過酷な状況下にあっても、人間性を可能な限り保持し、自分が置かれた環境によって損なわれたものではなく、損なわれなかったものに目を向ける著者(ヴィクトール・E・フランクル)の澄んだ魂に惹かれていったのです。
運とは何だろう?
どんなに辛い大変な中でも、決して希望を捨てずにいる者だけが出会う事?
他の誰も見えない何かに気づく事?等々、頭が混乱するほど考えたものです。
そして、早世した社会科の同僚と感想を伝えあった事もまた、鮮明に覚えているのです。(何でも記憶している人ではないのに、中には何年も覚えていることがあります。)
その後は、亡き同僚が与えてくれたチャンスを大切に、フランクルとの出会いを何冊かの著書で叶えました。
『どのような不条理を経験しても、平和とバランスは自身のもとにやってくる』
聖書の言葉とフランクルの体験が重なります。今年の賀状にも記した言葉です。
『待つこと』を信頼することの大切さを謳ったものですが、ただ、黙って待つのではありません。
人生からの問いかけ~内的衝動?呼びかけ?コーリング(calling 天職・召命)に応答することが鍵となります。
私たちは自分自身が見捨てない限り、見捨てられることはない。
それほど、『私』という存在は尊く能動的な生き物だという事ですね。
そう言えば、私が子どもだった頃、『人生(世の中)捨てたもんじゃないよ』と、昔のおじさんたち(敬意をもって)がよく口にしていましたっけ。
フランクルの本を読んだかどうかは分かりません。
戦時中やその後の大変な世の中を生き抜く中で、達観していったのかもしれません。
妙に楽観的で、人とは競わず、『AがだめだったらB』という風に物事に執着し過ぎない、それでいて俯瞰する力に長けていて利他の精神バッチリ!という昭和を代表するようなおじさんたち(大人たち)を身近に感じながら、私は子ども時代を過ごしました。
物は豊かではなかったけれど、豊かさに溢れていましたね。
それは、人々の口から出る言葉、人々の行動、人々が醸し出す雰囲気etc.によるもの。
人生からの求めに応じて、自分を鼓舞するきっかけとなったフランクルの哲学。 私の宝物です。