『人の悲しみに、そっと、触れる』
本当に時が解決してくれるのでしょうか・・・?
喪失感というものをその程度に差こそあれ、多くの人が体験していることです。
在る時、一人の若い女性がこんな相談に見えました。
「姉が闘病の末、亡くなりました。
親戚の人たちが沢山、弔問に来てくださったのですが、みんなが口をそろえて言うんです。
『里美さん(仮名)、お母さんを支えてあげてねって』
・・・・・・・・・。」
長い沈黙が続きました。
私が、「その時、里美さんは親戚の方たちに、どのようにお返事なさったのですか?」と尋ねると、
「『はい、分かりました。』と言いました。」と、小さな声が返ってきました。
長い沈黙の中で、この女性が心の中で叫んでいたことは、
「私だって辛いのよ!お姉ちゃんを亡くしたんだから!
誰一人として『里美ちゃん、辛いわね』と言ってくる人はいなかった!
私の事は誰が支えてくれるの!
私だって辛いし、悲しいし、寂しんだから・・・。」
人は人生を揺るがすような出来事に遭遇した時、沢山の人でなくていい。たった一人でいいから、自分を理解してくれる人を必要とします。
それが身内であれば心強いでしょうが、そうでなければ心を許せる人ですね。
100%そこにいて、批判もせず持論をかざすこともせずに、ただ聴いてくれる人の存在が必要です。
この女性の場合、親戚の人たちの気持ちは、子どもに先立たれた可哀そうな母親に注がれていたのですね。
日ごろから元気な、この若い女性の気持ちを察するまでには至らなかったのでしょう。
このような経験をしている方は意外に多いように思います。
普段であればやり過ごせそうな事でも、等しく喪失感を体験している人には酷な場面であったろうと想像できます。
里美さんは、姉の四十九日を終えたある日に来所されました。
「親戚の人たちが、『いつまでも悲しんでいると、亡くなったお姉さんが心配するからね。元気出してね。ちゃんと時間が解決してくれるから。』って・・・・。
励まそうとしているのだとは分かっていますが、(心に)響かないし、誰も分かってないじゃない!って、怒りとか虚しさがこみ上げてきちゃって・・・。
涙が溢れてきたんです。
そんな私を見て、今度は『お姉さんを亡くして辛いよね』って言うんです・・・・・・。」
ご自分の気持ちと、親戚の方たちがかけた言葉が、かみ合っていなかったのですね。
これもよく聞かれることです。
言葉は力です。
悲しみに暮れている人に対して、不用意な言葉は相手を傷つけてしまうことがあります。
本当に当事者の気持ちになった場合、なかなか言葉は出てこないものです。
むしろ、その方が慰めや癒しになるかもしれません。
コミュニケーションの手段は、言葉だけではありません。
自然に心配そうな表情になったり、自然に相手の手の甲にそっと手を重ねたり、
言葉以上に相手に伝わるものもあります。心を寄り添わせていたなら・・・。
私は、愛する存在との別れの辛さは、時とともに薄れていくとは思いません。
逆に、日に日に思いが深くなる方の方が多いように感じています。
愛が深ければ深いほど。
喪失・・・
その事態に耐えうる力を、私たちは一日一日生きることで、重ねていくのだと思います。